鳥になった日々

久々にブログを書いてみる天使です。(花詩歌タカラヅカしいては、ノバ・ボサ・ノバについて知らない人には意味がわからんかも知れない文章です)

天使は思った。あとは、このシーンで、逢坂夕陽先輩の歌声に乗せてダンスを踊れば、ラストシーンの鳥に着替えるだけ。さあ!警官たちよ、殺人を犯した私を舞台に連れて出るのだ!

って、警官たちよ、おらんやないかい!なに次のシーンの着替えに行っとるんやー!

舞台袖から楽屋に向かって叫ぶも、警官2は戻ってこず。仕方なく呼び止めれた警官1を引き連れ(いや、犯罪者が引き連れてどうすんねん)、舞台へ。(早よせな、夕陽先輩の歌が終わってまうし)と、舞台上にでると、居るはずのボーロ(笑福亭松五兄貴)がいない!ボーロもラストシーンの鳥の衣装が着づらいため、鳥になることしか頭にはなかったらしい。

いや、そら、私、このシーン歌わんし、私がでなくとも、夕陽先輩が歌ってるからええんやろうけど!

けど、私の読み取った『ノバ・ボサ・ノバ』という物語は、それぞれに縛られているもの(わかりやすいとこでいうと、エストレーラとソーロの身分違いだから叶わなかった想い)から、自由になり飛び立つ、そこに、サンバしいては人が踊る意味があると言っていると思ったので、あの物語の中での、あのシーンはめっちゃ大事やと思ったのです。

ボーロが警官に連れられた私を見つけ、ソーロ(主人公。夕陽先輩の役)に伝える。そして、ソーロがボーロにお金を渡し、警官に保釈金として献上。私は釈放。というシーンが、初日は、ボーロの不在と夕陽先輩がお金の入ったポケットを舞台袖に落とすというアクシデントが重なり、ソーロが勝手に手錠をはずす(しかもロープも手錠もなかった)、よくわからないシーンに…。
初日打ち上げで、すぐにDVDを見て反省をし、次の日の対策を夕陽先輩が練ってくださる。
私も家へ帰り、早速、ボーロの持っていた鷹の模型(あのシーンで、ボーロが鷹の模型を持っていると言うのも絶対意味があるはずだ!)をアマゾンの段ボールでこしらえ、歌の復習と落語の稽古をして翌日に。

翌日は二日目にして千秋楽。もちろん、自分の踊りが笑われるのは想定内の上で、自分の中であのシーンをかなりの再現率を保てたのが嬉しかったし、誰からも評価されなくても自己満足のために生きるべきやな、と強く思った。

こないだ「周りから、評価されないと嘆いてる人は、おもしろないから評価されへんのに、それに気づいてない」と、誰かが言うてたけど、ある意味真実で、ある意味間違ってると思う。売れるのが運と言うなら、出会う人と周りの環境でだいぶ変わるんちゃうんか。

ただ、今回思ったのは、ネットで落語下手と書かれてようが、音程が外れて貶されようが、勉強会の開演は7時でお願いします言いながら全く来ない人に腹たてようが、予約したのに忘れてるのか来ない人がいようが(←これは敢えて書いてます。もう、そんなお客さんに未練はないけど、他の人にはやらんといてね♡いう意味で)、どうでもええねや、私は自分の納得いく舞台ができたら、と思った。そう、そんなことに縛られることから、ノバ・ボサ・ノバしたいんや。

ツィッターに、面白いと思ったら笑ってください、面白いと思わなかったら笑わないでください、と書いたけど、ホンマに、いいね、と思わなかったら、いいね、としなくて良いしね。

そりゃまあ反応あるのは嬉しいけど、そんなことより、落語会来てほしいし。
というか、あなたに必要な落語ができるようになりたいし、面白い落語会を開催します。けど、お客さんが集まってくれますように。それは大事。

サンバ!